続だらだら山歩き3

愛媛の山をひとりで歩く。登山ですかと聞かれるとそこまで高度な事はできません。そうだなぁ、年中、山中徘徊しています。

石素神社(いしもと神社)ー星ヶ森

先日、ご縁が会ってアールさんと知り合う切っ掛けを得たので、これまでこういったご縁を中々ものに出来ず後で後悔してきた私は、エイヤ!と飛びつきました。

アールさんのご厚意のお陰で、以前より気になっていた石素神社跡を見つける事ができました。ありがとうございます。

さて、石素神社であるが、かつての千足山村の大平にあった神社である。私が気になっていた理由はいくつもあるけれども、やはりこの神社は御祭神が石土毘古の神であったと目にした事が大きい様に思う。さて、どこで目にしたのだったか。。。

 

「秘境石鎚山麓 消えた村に光を」によると1442年に建てられたのが記録に残る最初らしい。この中では牛頭天皇を祭っている様にも書かれている。

 いずれにせよこの地域に多い八幡社でないのはなにやら面白い。

 

ブログを投げっぱなしにすることで、植物の名前が少しづつ頭から消えていっている。でもこれは最初に気になったので覚えている。ミズヒキ

 

結果的にはこれが分岐だった。下の道。

 

ダメで元々と思って谷を渡ると、もう鳥居が見えた!?

このあたりも何度か探しに入っていたのだけどこんなにすぐだったのか

狛犬は下ろしたんでしょうか?

 

すごく立派な鳥居。

立派すぎて近代の作であるのがちょっと残念。。。

 

その傍らに、私が思っていたよりも小さい石碑がある。

もちろんこれをここに据えるにはかなりの労力が必要であったのだろう。

 

昭和御大典紀忌 とある。

昭和天皇の即位を記念し建立したという事だろうか?

そうであれば1928年頃という事になるらしい。

私は脳内で大平の氏神様と思っていたら、大平成藪のご祭神とある。

 

立派な石垣の上にさらに古い鳥居がある。

浪漫! と思ったらコンクリート製であった。立て直したのであろう。

 

索道のかかった大木。

 

社はもう倒れてしまっていた。

 

この切り株がアールさんの言われた大きな切株。

しかし明らかに刃物で切られている。

 

束と思われる木片に何か書かれているが定かではない。

案外に狭い空間に古道を探すが定かでない。

というか、虫が多くてあんまり探したくなかった。。。。

そのまま社叢を上がってみる。

 

この大岩も面白い。

 

すぐに切れて植林エリアが現れる。

 

以前の散策でここかな? と思った場所が神社跡だったらしい。

 

お地蔵さんの背中側にでた。

探検、あっという間に終了である。

前回この5倍ぐらいの時間を使ってさんざん彷徨ったのだが、やはり識者に聞く事ができると話が早い。

 

あんまりにも早すぎるので、そのまま虎杖から星ヶ森に上がる。

毎回、だまされた! と思うのだけど、この標識は星ヶ森のすぐ下にある。

つまり、星ヶ森から横峰寺まで600mという事。

 

金の鳥居。

鉄である以上これも不変ではない。と、いうのになんともおざなりな写真であるorz

 

ガスガスの中、石鎚が見えたらおめでとうとおもっていたんだけど見えた。

やはりこうして見ると、石鎚とは西冠岳までだったんじゃないかと思う。

 

郷集落の跡、なんだか奇麗なスペースに石碑があったので近寄ってみた。

残念ながら文字はなにも残っていない。

しかし賽銭と思われるものがある。これは郷集落の神社跡とかだったんだろうか?

 

 

ありがたい事に、千足山村で探していたものが一つ見つかった。

本命の坊主探しもぼちぼちやってるんだけど、予想エリアが深いのよ。。。。

誰か知ってるよ?という方、宜しくお願いいたします。

ちなみに人に聞くと、高確率で赤いクレパスさんという凄い人が居て、彼なら知っているのではないか、と教えて下さいますwww

 

 

山村の少ない記録を紐解くに、やはりこの奥深い山の中で困らない程度に生活をするも、神仏が集落に居て欲しいという強い願望があった様だ。

この飽食に生きる我々からは想像のできない時代、人々はより神仏に寄り添い生きていたのであろう。